ごはんの記憶

ある日のお昼に夫からのリクエストがありせっせとこさえたおにぎり。うめ、おかか、ごましお。

子どもの頃、母親が作ってくれるおにぎりはいつもたわら型だった。そのせいか大人になってからは憧れだったやま型にいつも握ってしまう。絵本やアニメに出てくるおにぎりもやま型が多かった。当時、母に「さんかくのおにぎりがいい」と伝えると確か「めんどくさいから」とか「大きくなっちゃって食べ過ぎるから」とかそんな理由であまり作ってくれなかったような記憶がある。おにぎりを作るとき、今でも、なにがそんなにめんどくさかったんやろうとふと思い出したりする。「大きくなっちゃって」の意味もよくわからない。もしかしたら弁当に収まりにくいから…ということだったかもしれない。

大人になって自分で料理をしていると、時々家族の思い出や一緒にごはんを作って食べた友人の顔が浮かぶことがある。

溶いた卵をうっかりフライパンの上で焼きすぎて焦がし、ポソポソになってしまった時は父が作ってくれたごはんを思い出す。

ものすごく稀なことだったが、母が外出することがあった時には、父が料理して食べさせてくれた。父のつくるごはんはだいたい醤油とマヨネーズを使った焦げ気味の炒め料理。それに焼きすぎてポソポソになった卵が入っている。子どもながらに「雑やなぁ」と引いていたが、食べてみたら案外美味しいんよな。「お母さんには内緒やで」とか言っていつも醤油とマヨネーズを入れて炒めていた。今でも卵を焼きすぎてしまった時にふと思い出して心の中で笑えてくることがある。

上手に作れていても作れていなくても、無添加でもそうでなくても、自分のために作ってくれて、一緒に食べたものは思っている以上に受け取っていたのだなぁと大人になった今思う。

からだに悪いものはなるべく取らない選択をしたいけど、優先順位はまちがえないようにしたい。





文と写真 | 香川県 小豆島 ライター 坊野美絵